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日本語のなかに深く根付いている「気」という語に、私はたいへん興味を持っています。
大気や天気といった現実の事象を表す言葉から、陽気・陰気・邪気・無邪気といった人間の情緒を表す言葉、あるいは雰囲気や気配のようにその場の曖昧模糊とした状況に至るまで多岐にわたって使われる、ある意味、不思議な力を持った言葉です。
そんな言語を文化的背景に持つ私たち日本人は、yesかnoでは表現できない曖昧さを許容すればこそ見えてくる気の世界と共に生きている民族といっても過言ではないでしょう。
そのことは私自身のキャリア形成の中でも大きな意味を持ち、何かの予兆や物語の始まりを予感させるようなものを表現したい、と常々思っています。
そこにはまだ見えていないSomethingelseを引き寄せたいという儚い願望かもしれません。
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